雪がうっすら積もっている朝でした。
今日はいつもより1時間寝坊。慌てて娘を起こして、朝ごはんの準備。娘も慌てつつ、かなりの巻モードで朝学用のプリントを実施。(いつもこのスピードで実施すればいいのに)
朝寝坊とか遅刻とかって、出席や出勤するまでは頭の中がコンフュージョンですが、過ぎてみると「どうしてあんなに追い詰められた気持ちになっていたんだろう。」と、なぜかその後に小さな静寂が訪れる気がします。気がするだけなんですが。
朝寝坊した日に限って、ちょっといつもより丁寧に掃除して、入念に仕事の準備をして、ゆっくりコーヒー飲んで落ち着いて、となるのはやっぱり人生それなりに長く過ごしてきたからかもしれませんね。若い頃は寝坊して時間がないことの錯乱で、通常業務が開始した頃には疲弊していた気がします。
実は私はここ数十年、目覚まし時計をかけていなくて。昼寝のときのアラーム設定は別として、朝の目覚まし時計は殆どかけたことがなかったのですが、今年に入り寝坊が増えてきました。何かの雑誌の記事で、起きたい時刻に起床できる感覚は副腎皮質刺激ホルモンの影響が大きいみたいな内容を目にした気がします。
自分で起きたい時間に目が覚めるのは、特殊能力ではなく自分で体内時計の調整ができている(いた)のかもしれませんね。
娘が数年前に中学受験用の塾に通塾していたころ、有名な講師の方が
「成績が良い子は、大抵は自分で起床し、自分で学習スケジュールを立てる。」
と仰っていました。
それを聞いた時は非常に焦り、自分で起きれるように目覚ましのセット方法などを娘にレクチャーしたりもしましたが、今となっては「起きられないのも個性」(雑な思想)と割り切って私が起こしています。ただ、起こさなかったら昼過ぎまで寝てしまいますが。自分で起きられないことで今の所、よそ様にご迷惑はかけてはいないのですが、自立する際には必修スキルとなるので、少しずつ自分で起きるトレーニングをしてもらわないといけないかもしれません。
りんごをつまむ。