ミニマリストという言葉を意識するようになったのは十数年ほど前でしょうか。
「フランス人は10着しか服を持たない」とか、ドミニック・ローホーさんの書籍が非常に人気の高かった頃ですね。
シンプルに生きる―変哲のないものに喜びをみつけ、味わう | ドミニック ローホー, Loreau,Dominique, 秋子, 原 |本 | 通販 | Amazon
このあたりから空前の?ミニマリストムーブメントが到来し、今はモノを持ち過ぎている方というのは周りにはあまりいない気がします。
私も「モノを減らして自分の好きなものに囲まれて生活する素晴らしさ。」的な考えに魅了され、捨てまくった時期があります。正直、本当は必要なものまで捨てまくっていたこともあったさ。
子供が出来ると、モノを増やさない生活はなかなか厳しく、購入して保管したりすることに罪悪感を覚えるようになり、著名なミニマリストの方の行動を模範にして自分と比較して落ち込んでしまったり、しまいには捨てないと不安になったり。家族間で価値観が違えば軋轢を生じることにもなったり。
大凡、今までの人生の中で「自分の軸」をしっかり持っていなかったため陥ったこのミニマリスト強迫観念。
今は三周くらい回って(笑)、物が少ない、必要最小限ではなく「家族が快適に過ごせるかどうか。」が基準軸になり、必要なものは購入して保管もするし、躍起になって捨てる、減らすことはなくなりました。
最近はミニマリストの極みの果てなのか?「冷蔵庫もエアコンも洗濯機もありません。家でご飯食べません。」的な発信を目にすることも多いです。所有物の数が少ないことがミニマリストと同義になってきている。まさに「完璧で究極のミニマリスト」。弱点なんて見当たらない。
ただ、彼らの’がらんどう’のようなお部屋や生活スタイルに憧れるか?というとそうではなく。どちらかというと、その生活をもってしても、まだ満たされてはいないのではないか?と心配になってしまったりもします。余計なお世話ですね。その瞳が、その言葉が嘘でもそれは完全なアイ。
私は「物がない」状態を保っている方より、「常に自分に必要な物を把握している」方、をリスペクトしています。両者は似て非なり。前者は宗教崇拝、後者は職人、といったイメージでしょうか。(やばい、全ミニマリストを敵に回すかも)
整理整頓の前に不要なモノを取り除く事はとても大切なことですが、そのあとの必要なモノを保管して維持、消費するプロセスは「計画力」が伴うからです。
例えば冷蔵庫。
一週間に一度、在庫を確認し、今後一週間のメニューを計画し、スーパーで(購入リストにはない)特価の肉や旬の野菜があった場合は予定のものとリプレイスし、瞬時にメニューも書き換える。たまには冷蔵庫の残り物で数品拵える。これは立派な職人技だと思っております。きっとそんな方の家の冷蔵庫は野菜室も冷凍室も何もない状態ではなく、整然としているはずです。
また、ファッションだと、迷わないように毎日同じ種類の服を着る、といったことよりも「自分に合う服(テイスト)を知って足し引きしながら着用している。」言い換えれば自分の嗜好と見た目、行動の傾向、を客観的に捉え楽しむことができる方のファッションに憧れます。
- 快適な生活を送っている。
- 余計なコストがかからない。
- 生活を楽しんでいる。
これらが出来るのであれば別に極端に少ないモノで暮らさずとも良い訳です。
個人的にモノを減らしたからといって貯蓄が増えた、とか、ダイエットに成功した、等は間接的な要因のひとつにはなったとしても直接的には関係ないと思っています。これらはマインドと知識と実行力の問題。
究極のミニマリストとは自分の足るを知る方であり、その潔さと佇まいが美しいのであり、未だ自分が本当は何を求めてるのか分からずにモノを捨て続けている様とは大きな隔たりがあると思うのです。
今の私もまだまだ後者の部類ですけれど。
※ミニマリストを批判しているわけではなく、あくまで個人の感想です。